京都で手に入れる 和の化粧小間物
2011年10月公開

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千年の都・京都では、女性の身だしなみを整える化粧品や小間物も独自に発達してきました。今も続く老舗の化粧品や小間物を扱うお店の歴史から、華やかな花街はもちろん、歌舞伎や映画など芸能が盛んだった時代の京都が浮かび上がってきます。
そんな京都とレトロだけど新しい「和の身だしなみ」の世界に触れてみましょう。
井澤屋(昭和初期)
昭和20年代
慶応元年(1865)、中京区京極(寺町)六角に創業。当時、京都には芝居小屋がいくつもあり、その中の一つ東向(ひがしむき)座で役者さんなどのかづら、かもじ製作や結髪を行なっていたのがかづら清の起源です。結髪とともに、かもじ(入れ髪)や添え髪など「髪まわり」のものを商うようになり、宮中の女官の「お添え毛」も納めていました。
明治時代に四条通の老舗呉服店ゑり善の隣に移りましたが、昭和10年の集中豪雨で鴨川が氾濫し浸水したため、翌年から現在の場所でお店を営んでいます。
「手入れの行き届いた美しい髪に美しい髪飾りを、というのがうちのポリシーです」と女将の霜降富紀子さん。椿油(特製 純粋つばき油/小瓶 1,575円〜)でも有名です。椿油の歴史は古く、古来より女性の髪の手入れに欠かせませんでした。平安時代は髪を洗わなかったので椿油をつけて梳(くしけず)っていたといいます。「昔の女性の知恵ですね。抗酸化力がありオレイン酸という天然保湿成分を多く含んでいるのが椿油の良いところ。昔の人はそれとなく知っていたのでしょうか」。
先代のとき、昭和49年に長崎・五島列島に椿油の搾油工場を設立しました。以来、自社の椿園の実などを自社の工場で搾り、加工しています。「昔の椿油のイメージは、おばあちゃんの鏡台の隅に入っていて、べたっとしたイメージでしたが、搾油技術の工夫、向上とともにさらっとしたピュアなオイルになりました」と霜降さん。「天然の椿油の良さを若い世代に知ってもらいたい。使いやすい化粧品など時代に合ったものを開発しています」。
時代とともに女性の髪型は日本髪から洋髪へと変わってきました。「明治時代の髪飾りはどちらかというと質素で、大正ロマンの頃から昭和初期は華やかで大胆なものが好まれました。戦争で一気に髪飾りが消え、オリジナルのかんざしの制作も途絶えました」。戦後すぐはショーウィンドーに飾るものがなかったとか。現在は各分野の専門の職人を抱え、再びオリジナルの櫛やかんざしを制作しています。ちなみにデザインは霜降さんが担当。「伝統的な『かづら清好み』のデザインこだわる一方で、ちりめん細工の買いやすい商品(創作ちりめん髪飾り3,780円〜)も創っています」。幾つもの激動の時代を乗り越えながら、変わらないものを大切にする確かな美意識を感じました。
| 住所 | 京都市東山区四条通祇園町北側285 |
|---|---|
| 電話 | 075-561-0672 |
| 営業時間 | 9:30〜19:00 |
| 定休日 | 水曜日 |
| アクセス | 市バス「祇園」下車徒歩約3分 |
明治40年頃
慶応元年(1865)創業。創業の地は大阪だったといいますが、明治の初めには京都・祇園の現在の場所に移ってきました。創業当時は帯留め、櫛、かんざし、金唐革のたばこ入れなどを扱っていたといいます。
先々代のとき、近所に住んでいて親交のあった富岡鉄斎に「鬢様眉心日日新(びんようびしんひびあらた)」と揮毫してもらったのがお店のポリシー。「髪をきちんと整えお化粧もして毎日新鮮な気持ちでいなさい、という意味。身だしなみが大切ということですね」と女将の井澤國子さん。先々代の井澤清七がアイデアマンで、女性が髪をまとめるためのネットを漁網から考案し大ヒットとなりました。大正14年にはヨーロッパを旅行してドイツの淑女が化粧直しに使っていた「紙はんかち」を持ち帰り、商品化。紙はタバコを巻き取る紙を使っていました。現在ではその紙もなくなったため、類似の紙を特注しています。普通のあぶらとり紙より大判で、邦楽の囃子方など白塗りの化粧をしない舞台関係の方に重宝されています(大判あぶらとり紙・310円)。
京都では「あぶらとり紙」はほぼ同時期に数店から発売されました。もともとは金箔を打ち延ばしたあとの打ち紙をリサイクルしたもので「ふるや紙」といいます。「昔はお仏壇など金箔をたくさん使いましたので、大量のふるや紙が出ました。箔打ちに何度も使いますので、端とかぼろぼろになっています。良いところだけを選って、あぶらとり紙にしました。時代とともに金箔の需要も減り、ふるや紙も貴重品になりました。いつからか、どのお店でもあぶらとり紙用に紙を漉くようになり、うちも両方置いています」。(金箔打あぶらとり紙680円/写真右、あぶらとり紙「見返り美人」310円/写真左)
高級バッグ、袋物、和装小物の店として定評があり、取材中にも舞妓さんが訪れ、バッグを選んでいました。普段着姿の舞妓さんとバッグのはんなりした雰囲気がとてもよく合ってひときわ華やか。この西陣織のバッグは当代が歌舞伎役者さんの夫人が持っていた小ぶりのバッグからヒントを得て考案したといいます。
「舞妓さんや芸妓さんがお座敷でさりげなくお化粧を直せるように、コンパクト式のあぶらとり紙(1,570円)やかわいいケース(各840円)も作ったんですよ」と女将さん。祇園ならではの格式と華やぎを感じるお店です。
| 住所 | 京都市東山区四条南座前 |
|---|---|
| 電話 | 075-525-0130 |
| 営業時間 | 10:30〜21:00 |
| 定休日 | 不定休 |
| アクセス | 京阪本線「祇園四条駅」下車すぐ |
花遊小路の店頭にて初代國枝夫妻
化粧雑貨を大八車に積んで売り歩いていた先々代が、明治37年(1904)、六角御幸町(中京区)に「國枝商店」を構えたのがよーじやの始まりです。その後、新京極の花遊小路に移転。屋号を「よーじや」と改めました。「よーじ」は「楊枝(ようじ)」の意味。この場合の楊枝は今のような小さな爪楊枝(つまようじ)ではなく、歯磨きに使う房楊枝(ふさようじ)のこと。クロモジなどの小枝の一方の繊維を毛のようにほぐしたものです。明治になって西洋から歯ブラシが入ってくるまでは、皆房楊枝を使っていました。ですから歯のエチケットには「楊枝」という呼称が定着していました。大八車の時代から歯ブラシを商い「よーじやさん」「よーじやさん」と声を掛けられ親しまれていたためこれを屋号にしたといいます。
当時の新京極は映画館や芝居小屋がひしめく、京都一の繁華街でした。よーじやの商品は舞台の役者さんが使うプロユースのものから始まりました。一方で早くから外国の化粧品や香水の輸入を手掛け、まだ珍しかった「シャネルやランコメ(ランコム)」など高級化粧品も扱っていました。
演劇用本洋紅(昭和初期)
「その頃は舞台メイク用の化粧品と高級な舶来ものとを扱う店でした。学生さんは入って来られないようなセレブな雰囲気でしたね」と、マーケティングディレクターの入江裕司さんは話します。あぶらとり紙は1920年代(大正時代)から舞台の化粧直し用に顔が隠れるサイズの大判のものを作っていましたが、一般にはあまり知られていませんでした。「大正時代に1冊5銭。高級品でした」。現在のブームは90年代頃から。やはり芸能界から一般へと広がっていったようです。
トレードマークになっているあぶらとり紙(1冊340円)の女性の顔はモデルとかあるのですか。
現在、新たな化粧品や化粧雑貨の開発と共に伝統的な化粧品の継承にも努めています。たとえば紅花から作る昔ながらの京紅(12,000円)は作り手も減りあまりにも高価になったため一般的ではありませんが、神事など特別な化粧の場合は必要。そのためにも技術を残さなくてはなりません。「『伝統の色と技術』を伝えるのも私たちの使命です」と入江さん。「京都やから残せるのだと思います」。

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イメージは京女。舞妓さんも含めた京都の女性が鏡に映っているところです。先代の口癖は『女性にはコンパクトの鏡をプレゼントせよ』でした。身だしなみの上で鏡は大切。そんな想いをデザインしたのだと思います。
昭和35年頃〜52年頃の
歴代あぶらとり紙