保津川下りの出発点、トロッコ列車の終点として有名な京都府亀岡市は、丹波国の最南端にあります。安土桃山時代に明智光秀が丹波亀山城を築いたことから城下町として発展しました。「霧の都・亀岡」とも呼ばれ、晩秋から早春にかけて深い霧が発生することでも知られています。この霧は豊かな農産物をはぐくみ、京都市内では作られなくなった京野菜の多くが、亀岡で作られています。
酒米と清らかな水に恵まれた亀岡で125年余、酒蔵を営む丹山酒造。五代目にあたる長谷川渚さんは女性杜氏として活躍しています。厳しい冬の寒さの中での酒造りは過酷な仕事。長谷川さんに、酒を醸す想いなどをお尋ねしました。
はい。若干の修理などはしていると思いますが、酒蔵は当時のままです。
小学校の3年か4年の頃ですね(笑)。たまたま蔵元に生まれましたが、小さい時は別に跡を継ぐとかそんなことはわかりませんし、親からも何も言われませんでした。ただ、自然と酒蔵が遊び場になり、当時は出稼ぎで来られる杜氏さんたちがよく遊んでくれて、酒蔵も杜氏さんも大好きでした。その頃は能登杜氏(※)さんで、10月末頃になると蔵に来られて家中がにぎやかになり、3月末頃に帰っていかれました。本当にいい思い出ばかり。杜氏さんも酒蔵も楽しい、というイメージが刷り込まれたようです(笑)。
ですから、ごく自然に「杜氏になる」と言った時、親は喜んでくれましたね。私も、一刻も早く杜氏になりたくて。小・中・高校と地元の学校に行き、卒業後は大学に進学するか酒造りか、という選択肢があったのですが、以前から存じ上げていた小泉武夫先生(東京農業大学名誉教授、発酵学)に相談したところ「酒造りをしたいなら、早く現場に入りなさい」とアドバイスされ、迷わず酒造りの道を選びました。
滋賀県にあった日本発酵機構余呉研究所というところで1年間発酵学を勉強した後、東京農大で半年間、小泉先生の指導を仰ぎました。
酒蔵に飛び込んだのは19歳の時。私は実家が酒蔵なので、本当に恵まれていたと思います。最初は蔵の清掃から始まりました。毎日毎日掃除ばっかり。その次はお米運び。当時は80歳になられる南部杜氏(※)さんに来ていただいていて、つきっきりで教えていただきました。うちは小さな酒蔵ですので全工程を経験することができたのもよかったです。
酒母(しゅぼ)造りです。酛(もと)造りともいいます。
蒸したお米に麹菌をかけて、お米のデンプンを糖に変える酵素を麹菌に作らせます。こうしてできた糖分をアルコールに変えるのが酵母。酵母を大量培養したものを「酒母」といいます。酒造りでは「一、麹 二、酒母 三、つくり」といわれるように、とても大切な工程。頭の中でわかっていても、実際にやるのでは全く違いました。
微生物相手ですので、温度管理に苦労しました。雑菌がなくて所定量の乳酸を含有している元気な酒母が良い酒母です。寒すぎたら温め、逆に暑すぎると氷で冷やすこともします。発酵がはじまりプチプチ音がすると「元気だな」と安心しますね。
十分発酵したら大きなタンクに酒母と麹と水、蒸し米を入れてさらに発酵を促します。これを「醪(もろみ)」といい、朝夕2回撹拌(かくはん)します。発酵が進むと撹拌しやすくなるのですが、最初は固くて大変です。
これを「上槽」といって酒粕と日本酒に分けます。上槽した日本酒を10日ほど静置して濁った部分を取り除く「滓引き」、さらにろ過し味を各タンク均等に調合して「火入れ」をし、貯蔵したのち瓶詰めします。これはごく標準的な工程で、実際はお酒の種類や酒蔵によっても異なりますし一口では言えないくらい複雑なものです。
すべての工程に気を使いますが、何といっても「清潔」ですね。雑菌が入るとせっかく手塩にかけたお酒に雑味が出たりします。ですから清潔第一。それと温度管理ですね。
もちろん、作業工程も大切ですが、お酒造りに携わってやはりお酒の基本はお米と水だと考えるようになりました。
日本酒はその名のごとく「日本」のお酒。日本人の主食はお米です。伝統に立ち帰ってより自然な酒造りをしようと、5、6年前からお米だけで造る純米酒にこだわり、酒米作りもしています。夏場は皆で田んぼを手伝いにいくのですよ。地元のお米で地元のお酒を造るのが本来の姿なのでは。
うちには創業当時から五つの井戸があり、現在もそのうち三つを使って酒造りをしています。この井戸は今まで枯れたことがなく、「寶満吉祥の井戸」といいます。軟水で、飲み口のきれいなお水です。
| 住所 | 京都府亀岡市横町7 |
|---|---|
| 電話 | 0771-22-0066 |
| 営業時間 | 9:00〜18:00(酒造見学8:30〜17:00 ※要予約) |
| 定休日 | 無休 |
| アクセス | JR嵯峨野線「亀岡駅」下車徒歩約10分 |





















