| 住所 | 京都市中京区車屋町通二条下ル仁王門突抜町322 |
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| 電話 | 075-231-3446 |
| 営業時間 | 9:30〜18:30 |
| 定休日 | 1月1・2日 |
| アクセス | 地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」車徒歩約5分 |
本家尾張屋は寛正6年(1465)、応仁の乱の前々年に菓子司として創業しました。禅宗の広がりとともに、禅寺で蕎麦が食べられるようになり、その賄いのために菓子屋が寺院に出向いて蕎麦打ちの手伝いをしたとのことです。以来、本家尾張屋では和菓子と蕎麦の両方に携わってきました。江戸時代になると蕎麦は「むしやしない」(空腹時のちょっとした食事)として庶民にも愛されるように。尾張屋の蕎麦の評判は高まり、御用蕎麦司として宮中へも蕎麦を作りに上がっていました。現在の場所には130年ほど前に移り、風格ある建物が蕎麦の味とともに印象的です。
稲岡亜里子さんは本家尾張屋の16代目。アメリカで写真の勉強をし、10年以上プロの写真家として活動していましたが、今年、家業を継ぐ決断をし、京都へ帰ってきました。540余年の歴史を継ぐ決意や、京都への想いなど、お尋ねしました。
17歳で渡米し、カルフォルニアの高校を卒業した後、20歳でニューヨークパーソンズスクールオブデザインの写真のクラスに入りました。最初の1年はカメラにこだわらずあらゆるジャンルのアートを学びましたが、やっぱり写真が合っているなとわかり、20歳からカメラ一筋。24歳からカメラの仕事をし、13年間、NYで暮らしました。
NYは刺激があって面白かったのですが、そこだけですべてが完結してしまうような感じがして、2004年に帰国し、東京に拠点を構えました。写真家として、見たことのない世界をもっと見たかったからです。
そうですね。私には妹と弟がおりまして、家業は弟が継ぐものと思っていたのです。ところが、二人とも海外留学し共に美術関係の道を歩んでいます。
そうなると、長女だし、20代の時から写真家として日本に仕事をしに帰ってきたことも多かったので、3人の中では私が一番(日本に)近いかも―と。外国の友達に家業の話をしたら「アリコが継げばいいじゃない」といわれ、また別の友人には「540年!? アメリカよりも歴史が長い!」と驚かれました(笑)。
でも、両親に「継いでほしい」とか、一切言われたことはありません。好きなことをさせてもらったし、自分探しの葛藤の中にいた10〜20代の私を応援してくれていました。ですから私が「継ぎます」と言った時はびっくりしたようです。
写真家としてのキャリアと自信があったから、店を継ぐ決断ができたのだと思います。写真があるからブレない、というか。写真をやっていなかったら継いでいないかも。仕事の合間に撮影しています。

© 稲岡亜里子
両親が(家業を)守ってきたのを見て、数年前から私も守りたい、と思うようになりましたがやはり、簡単には口に出せません。3年前、5年間にわたって撮影したアイスランドの水の風景をテーマにした写真集を出版しました。水は液体から固体にもなるし、気体になって雲にもなりますよね。雲から雨が降って水は循環しています。そこに何か「宇宙の力」というか「見えない力」が働いているのを感じます。家にも先祖から代々守り続けてきた「見えない力」があり、私はその力に守られている、と気付いた時、この家に生まれた自分の運命といろいろな事柄との「つながり」を感じました。それから今なら家業に入っても写真家としてのアイデンティティーを失うことはありません。今だからできた決断でした。このことも時機が満ちて、見えない力に導かれたようです。
今年の10月に東京の事務所を引き払い、家業に入り京都で暮らし始めました。
京都の街もいろいろなお店が増えてにぎやかになった感じ。うちのお店のお客さまも増えましたね。昔は高齢の方が多かったような気がしますが、今は若いカップルも多くて活気があります。
店では朝6時からおだしをとるのですが、子供の頃は漂ってくるおだしの匂いが朝の匂いでした。後を継ぐことを決意して以来、毎朝出来たてのかけそばを食べています。昔から「変わらない」のがいいですね。最高のおだしと挽きたて、打ちたて、湯がきたてのお蕎麦。表面的には多少変わっても、今も昔も変わらないものがある、それが京都の魅力だと思います。
稲岡亜里子(いなおか・ありこ)
NYで写真を学ぶ。05年、拠点を日本に移し、幅広いジャンルの雑誌やCDカバーなどを手がける。09年赤々舎より写真集『SOL』を出版。アイスランドの自然の風景を京都の寺や神社の記憶と重ね合わせながら撮った心象風景シリーズ。
現在、540年余の歴史を持つ老舗蕎麦屋・本家尾張屋の16代目を継ぐべく忙しい「二足のわらじ生活」の日々を送る。





















