同志社女子大学家政学部卒業。京都女子大学大学院修了。家政学修士。現在、京都ノートルダム女子大学生活福祉文化学部教授。平安朝を中心として、広く衣食住に関わる文化を研究。著書『平安朝のファッション文化』『精進料理と日本人』など。
平安貴族と紅葉、といえば『源氏物語』の「紅葉賀(もみじのが)」を思い起こす。若き光源氏が青海波(せいがいは)を舞う、印象的な場面だ。紅葉は平安貴族にも愛されていたのだろうか。なぜ、「紅葉狩り」と呼ぶのだろうか。
平安期を中心に様々な生活文化を研究されている京都ノートルダム女子大学教授・鳥居本幸代さんにお尋ねした。(プロフィールはこちら)
平安貴族たちは桜や藤など、さまざまな花を愛でましたが、実は紅葉はあまり登場しません。桜などは内裏の中や邸宅内に植えられていましたが、紅葉を楽しむには山(外)へ出掛けていかねばなりませんでした。当時、紅葉は主に渓谷に自生しているだけで、光源氏の建てた六条院の秋の町には紅葉が植えられていたと記されていますが、まだ、観賞用としてあまり庭園に植えられてはいなかったようです。
平安時代、貴族たちは多くの宮中行事を行い楽しみましたが、そのほとんどが春の行事。秋の行事はお月見と重陽(ちょうよう)の節句くらいで、春に比べると本当に少ないのです。平安朝の人々は美しい紅葉の赤に無常を感じていたのだと思います。やがて来る冬の寂しさ、枯れて散る葉にわが身を重ねていたのかもしれません。
仏教などの宗教観も大きかったと思います。例えば『平家物語』ですが、白い旗は源氏、赤は平家です。壇ノ浦の合戦の後、波間に平家の赤い旗が漂い紅葉のようだった、という描写があるように、もの悲しさを象徴する色でもあったようです。恐らく、紅葉狩りを楽しむようになるのは室町時代以降だと思われます。醍醐の花見で有名な豊臣秀吉は同じ年の秋に醍醐で紅葉狩りを開こうとしていましたが、その願いが叶うことはありませんでした。
茸狩り(きのこ狩り)、薬狩り(猪狩り)のように山へ出掛けたこと。紅葉した赤い葉を拾い集めたことなどから「狩り」になったと推測します。能と歌舞伎に「紅葉狩」があり、いずれも深紅に染まった紅葉の山中に鬼女が現れるという恐ろしいストーリー。黒味を帯びた山奥の紅葉の色は凄みが漂い、鬼も出そうですね。
江戸時代中期ころ、富裕な商人が生まれ町民文化が華やかになるのとともに、紅葉狩りは行楽として爆発的な人気になりました。ちょうどそのころ、伊勢神宮へお参りする伊勢講やおかげ参りが流行り、庶民の間で旅行ブームが起きました。その火付け役となったのが『都名勝図会』などの名所案内本です。紅葉の名所を紹介すると、たちまちそこに人が押し寄せました。同じ版元が出した『友禅雛(ひいな)形』と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本も女性の間で引っ張りだことなり、「竜田川の紅葉」や「紅葉の名所」をデザインした最先端の小袖を着て紅葉狩りに出掛けるのがステータスだったのです。平安時代の歴史物語『大鏡』に、藤原道長が大堰川に漢詩の舟、和歌の舟、管弦の舟を浮かべて紅葉を楽しんだという記述がありますが、そのころは紅葉の山を遠目に見ていました。それに対して、江戸時代になると紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んで花見同様どんちゃん騒ぎをしました。現代とまったく同じです。そこに宗教観はなく、遊興の楽しい気分だけがありました。
赤山禅院(写真左)の参道の紅葉ですね。特に散った後、参道が真っ赤に染まるのが美しい。紅葉は枝にあるときはもちろん、散った後も美しいのです。それと、東福寺(写真下)ですね。東福寺には中国から持ち帰ったというトウカエデ(カラモミジ)が植えられていて、オレンジ色に紅葉します。通天橋の上から眺めると、真紅の紅葉とオレンジのトウカエデで埋まり、感動します。京都は紅葉の名所が多い上に、紅葉は時期によって表情を変えるので自分なりの楽しみ方を見つけていただければと思います。
| 住所 | 京都市左京区修学院開根坊町18 |
|---|---|
| 電話 | 075-701-5181 |
| 拝観時間 | 9:00〜16:30 |
| アクセス | 叡山電鉄「修学院駅」下車徒歩約20分、 市バス「修学院離宮道」徒歩約20分 |
| 住所 | 京都市東山区本町15丁目778 |
|---|---|
| 電話 | 075-561-0087 |
| 拝観時間 | 9:00〜16:00(11月は8:30〜16:30) |
| 拝観料 | 通天橋・開山堂400円、方丈八相庭園400円 |
| アクセス | JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」下車徒歩約10分、 市バス「東福寺」下車徒歩約5分 |
















