京都が誇る舟下り “保津川下り” <歴史編>

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初夏の保津川下り

気候も穏やかで外出したくなる初夏。このシーズンの旅は、普段とは異なるアクティビティーを体験したくなりますよね。そんなワクワクした心を満たすのにおすすめしたいのが、亀岡から京都まで続く約16kmの急流を船頭さんが操る「手漕ぎ舟」で下る、スリル満点の「保津川下り」です!

コースは人が踏み入らない山間の渓流となるため、木々が芽吹き生命力に溢れるこの季節は本当におすすめ。120ヵ国から年間60万人が訪れることからもその人気の高さがうかがえます。今や、世界中から注目を集める京都が誇る舟下り。いったいいつ頃からはじまったのでしょうか?


⇒「そう京」イベントで保津川下りイベントを実施した時の様子はコチラ


その始まりは400年以上も昔!


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保津川の筏流し


船頭経験者にして保津川の歴史・技術を研究されている保津川遊船企業組合理事長の豊田知八(とよだともや)さんに尋ねてみました。

豊田さん 「保津川の水運の歴史は、長岡京に都を造営する際に木材を“筏(いかだ)”で流した頃まで遡ります。およそ1200年前でしょうか」

きのこ  「1200年前!?」

豊田さん 「“舟”で下りはじめたのは、慶長11年(1606)に京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)の手により保津川が開削されてからなので、約400年前からになりますね」

遊覧船のイメージが強い保津川下りの原点が、平安時代から続く水運にあったとは驚きです! ・・・でも、ちょっと待ってください。元々が水運であるのなら、舟遊びとしての“保津川下り”は、いつからはじまったのでしょう?


観光船“保津川下り”の名を広めた男!


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川本直水さん(中央の男性)


豊田さん 「“遊船”として観光客を乗せた川下りがはじまったのは、明治28年(1895)頃です」

きのこ  「そのころから今と同じような観光船が運航していたのですか?」

豊田さん 「いえ、当時はまだ水運も行われていて、その合間に海外VIPや政財界、実業家といった一部の人々が"風光明媚な渓谷を舟で楽しむ”という高級な遊びでした」

きのこ  「今みたいに、気軽に乗れるものではなかったんですね」

豊田さん 「そうです。一般の人々が乗船する観光船として広まったのは、観光大衆化の流れが生まれた昭和30年代。その時、“保津川下り”の名を広め一大観光業とした立役者が、川本直水(かわもとなおみ)さんです」

突然登場した「川本直水」という人物。戦後にタクシー運転手から身を起こし、京都のタクシー業界をまとめ、観光バス会社を立ち上げて大企業グループを率いた実業家だそう。東京の方には「はとバス」、京都の方には「清水坂観光駐車場」や円山公園の「坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像」を作った方といえば、驚かれるでしょうか。

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保津川観光ホテル オープン当初の様子


豊田さん 「当時、保津川にあった遊船会社を買収した川本さんは、昭和33年(1958)に保津川下り乗船場兼ホテルである保津川観光ホテルを建設しました。これが、初代乗船場であり、今日に続く保津川遊船企業組合の元となりました」

豊田さんに見せていただいた写真には、オープン当初のモダンな白壁の建物が写っていました。

豊田さん 「この建物は、今も遺っていますよ。せっかくなので見に行ってみますか?」

・・・これは、行くしかありません!


廃墟? いえ、保津川下りの初代乗船場です!


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保津川観光ホテル跡



目的地は、JR「亀岡駅」から現在の保津川下り乗船場へと続く道すがらにあります。近づいてみると、たくさんのガラス窓に囲まれた、当時は先進的であったであろうモダンな建物が出迎えてくれました! ・・・が。

きのこ  「・・・廃墟ですね」

豊田さん 「(笑)  今でこそ閉館されて寂しい雰囲気ですが、保津川下りの乗船場としての役割と、ホテルやレストラン、浴場などが併設された複合型レジャー施設として、当時は大変賑わっていたんですよ」

ところが、事業不振による資金不足から、昭和39年(1964)にこの建物は、舟、船頭ごと電鉄会社に売却されてしまったそう。その後、亀岡商工会の会館となり、現在は一部のスペースを除いて使用されることはなくなったのだそうです。


乗船場のなごりが、そこかしこに


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上段:待合所に降りる階段の昔と今 下段:船着き場と待合所の間にある広場の昔と今


豊田さん 「玄関の横に地下に降りる階段があるんですが、ここを下った先にある部屋がお客さんのための待合所だったんです。今は草が生い茂って見えにくいですが、待合所の川に面した側には階段があって、船着き場まで直接降りられるようになっています。それから・・・」

豊田さんの案内で保津川観光ホテル跡を見ていくと、そこかしこに乗船場のなごりが見つかりました。


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旧保津大橋 左下は石垣と欄干の一部


ところが一枚、どこから撮影したのかよくわからない写真を発見しました。

きのこ  「この写真もこの乗船場の写真ですよね? この橋はどこに?」

豊田さん 「これは、現在の保津大橋が平成13年(2001)に完成する前に掛かっていた旧保津大橋ですね。取り壊されましたが、今も橋の一部が遺っていますよ」

確かに、保津川観光ホテル跡の横に、橋の根元であった石組と欄干の一部 を発見できました。古写真と現代の風景を見比べると、時代の移り変わりが感じられて面白いですね♪


操船技術が勝ち取った“いま”


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現在の保津大橋と3代目乗船場


保津川観光ホテル跡を出ると見えてくるのは、川下に移った現在の乗船場。今で3代目となり、昭和44年(1969)に前述の電鉄会社が経営から撤退した後は、船頭の集まりである保津川遊船企業組合が経営にあたっているそう。

豊田さん 「自然相手の仕事なので、安定した運営は見込めず、一般の企業が経営するにはもとから、無理があったんです」

きのこ  「雨が降って川が増水すれば運休してしまいますし・・・ 確かに難しいですよね・・・」

豊田さん 「ええ、1ヶ月運航できないこともありますからね。そして、難所である保津川を下るには特別な技術が必要で、誰でも船頭になれる訳ではなかった。つまり、400年前から継承してきた操船技術が 保津川下りの“いま”を勝ち取ったんです」

保津川下りの操船技術は、その価値が認められ、2017年に亀岡市の無形民俗文化財として指定されたほど。世界的にも類を見ない素晴らしい技術があるからこそ、ただのレジャーでは終わらない魅力を感じるのでしょうね。

豊田さん 「実は、船頭技術を守り伝えてきた"船頭の一族”が住む里があるんですが、見に行きますか?」

・・・ま、まだまだ深い話がいっぱいありそうですね! 保津川下りシリーズ、これからも続きそうな予感です(笑)

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世界中から訪れる観光客を大自然の息吹を感じる舟旅へと誘ってくれる、保津川下りの魅力。皆さまもぜひ、この初夏に体感してみてくださいね♪


■保津川下り
【出船時間】定期船9:00、10:00、11:00、12:00、13:00、14:00、15:30
      ※一隻定員になり次第、随時出船になることもあります。
      ※土曜日・日曜日・祝日は不定期運行となります。
【料金】大人4,100円、子供2,700円
【電話】0771-22-5846(保津川遊船企業組合)
【アクセス】JR山陰本線(嵯峨野線)「亀岡駅」から歩約8分 Google map 
【公式ホームページ】https://www.hozugawakudari.jp/

Written by. きのこ

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