【河井寛次郎記念館】驚きと感動、美を追い求めた、陶工「河井寛次郎」の精神に触れる。

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京都のミュージアム探訪 3

京都には大小さまざまなミュージアムがあり、そのなかでも“個人の名前を冠した”ミュージアムは、その方の作品・精神世界に深く触れられることが魅力。今回は、五条坂にある陶工・河井寛次郎(1890-1966)の記念館、「河井寛次郎記念館」を訪ねました。

※本文は敬称を省略しています。
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寛次郎が愛した、“穏やかな暮らし”を体感する。

  • 外観。

    外観。

  • 看板は木漆芸家・黒田辰秋の作。書は棟方志功。

    看板は木漆芸家・黒田辰秋の作。書は棟方志功。

河井寛次郎記念館には、いろいろな側面からの魅力があります。作品、民藝、建物、五条坂という場所・・・ いくつもの魅力の中から、まずピックアップしたいのは、“穏やかな空間でのんびりできる”ということ。

受付と2階へと上がる箱階段。 箱階段は、人間国宝の陶芸家であり寛次郎の友人であった、濱田庄司寄贈。

受付と2階へと上がる箱階段。 箱階段は、人間国宝の陶芸家であり寛次郎の友人であった、濱田庄司寄贈。

国の登録有形文化財にも指定される記念館は、寛次郎自身が設計。郷里・島根県で大工をしていた兄が棟梁となり、職人たちを率いて施行した自宅兼工房を、寛次郎が生きていた当時のままに保存・公開されています。外観は黒格子に犬矢来のある京町家風の造りですが、中に入ると山里の古民家のよう。木のぬくもりが感じられる、重厚感ある佇まいです。
  • 囲炉裏の間。

    囲炉裏の間。

  • 受付前。

    受付前。

  • 柱時計は、民藝運動の提唱者である思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)寄贈。

    柱時計は、民藝運動の提唱者である思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)寄贈。

そこかしこに“土”の力強さを感じるような陶器作品が置かれ、“そこにいなければならない”というような存在感を放つ木彫作品たち。チクタクという時計の音と、開け放された窓から入る日の光。緑あふれる中庭が体の緊張を緩め、「ああ、うつくしいなぁ」「ああ、きれいだなぁ」と、誰しもが素直に感動してしまうような空間です。
  • 2階吹き抜けから1階を眺める。

    2階吹き抜けから1階を眺める。

  • 2階の書斎。寛次郎デザインの椅子は座ってもOK。

    2階の書斎。寛次郎デザインの椅子は座ってもOK。

  • 寛次郎が使ったという書斎机と椅子。

    寛次郎が使ったという書斎机と椅子。

かつて釉掛けや絵付けをしたという中庭。 藤は、寛次郎の一人娘誕生時に植えられたそう。

かつて釉掛けや絵付けをしたという中庭。 藤は、寛次郎の一人娘誕生時に植えられたそう。

素直な感動、驚き。当たり前のように思えますが、街中の空間にあって、心がほどけるような経験ができるのは、とてもレアなこと。かつて、河井寛次郎はここに住み、生活し、作品を作り、たくさんの方と交流をされました。創作の場であり、交流の場であり、思索の場であった場所に、時間を越えて今、私たちは触れることができます。

館内に飾られている、在りし日の写真。

館内に飾られている、在りし日の写真。

中庭で木漏れ日に和む、えきちゃん。

中庭で木漏れ日に和む、えきちゃん。

陶工「河井寛次郎」の作品世界に触れる。

館内に飾られる写真。

館内に飾られる写真。

そもそも、皆さまは「河井寛次郎」をご存知でしょうか?
陶工であることはもちろん、まずもって有名なのは、思想家・柳宗悦、陶芸家・濱田庄司とともに、名も無き民衆による作品に美を求める「民藝運動」を推進されたこと。

民藝に取り組んだ中期作品。昭和始め(1925)~昭和20年(1945)頃 ※展示作品は時季によって異なります。

民藝に取り組んだ中期作品。昭和始め(1925)~昭和20年(1945)頃 ※展示作品は時季によって異なります。

当時の工芸品は、外貨獲得のための輸出用商品として繊細で華美な作品が流行していました。「民藝運動」は、そのなかで価値がないとされた生活用品に、「用の美」という新たな価値を見出した、生活文化運動です。寛次郎は、自身の工房で作品制作に取り組み、自宅で民藝について語り合ったことから、記念館は「民藝はじまりの地」とされています。

「民藝の作家」と紹介されることの多い寛次郎ですが、記念館を訪れると、それ以上に大きく作品の幅を広げていたことがわかります。
  • 初期作品。大正9年(1920)~大正時代末(1925)※展示作品は時季によって異なります。

    初期作品。大正9年(1920)~大正時代末(1925)※展示作品は時季によって異なります。

  • 後期作品。戦後(1945)~昭和41年(1966)※展示作品は時季によって異なります。

    後期作品。戦後(1945)~昭和41年(1966)※展示作品は時季によって異なります。

館内にある「作品展示室」では、時季によってさまざまなテーマで、寛次郎作品を鑑賞できます。・・・取材時には“時代ごとの変遷”をテーマとされていて、「初期」は中国・朝鮮陶磁器を模倣した技巧的な作品(初個展の際には「彗星が現れた」と大反響を引き起こしたそう)。「中期」は民藝の作品、「後期」になると民藝の枠を超えて自由闊達な作品制作へ。常に驚きを求め、感動を求めて、己の美を追い求めた寛次郎の創作活動を概観できました。

陶房。

陶房。

寛次郎のお孫さんであり、学芸員である鷺(さぎ)珠江さんにお話を伺うと、

鷺さん 「初期の作品には寛次郎の“銘”を入れていますが、中期以降の作品には“銘”がなくなります。“誰が作ったからどうこうという評価はいらない”、出来た作品がすべてだ、という境地なんですね」

寛次郎作品は世界的にも評価が高く、昭和32年(1957)にはミラノ・トリエンナーレ国際工業展でグランプリを受賞(「・・・これも、本人ではなく友人の出品によるもので、本人は苦笑いをしていました」と鷺さん)。人間国宝や文化勲章などへの推薦もあったものの、すべて辞退されたそう。「何よりも作者は無名の座に座るべき」という思想を持ち、他人の評価ではなく自らの美だけを追い求めた、誇り高い精神を感じられます。

五条坂の歴史を物語る、「登り窯」に出会う。

記念館の最奥には、寛次郎が実際に使っていた登り窯が遺されています。 実際に見ると、その大きさにとても驚きます。昭和30年代に横幅を1メートルほど縮小されたそうですが、それでも大きく、とても一人の陶工が使われたとは思えません。

鷺さん 「この登り窯は“共同窯”で、多くの方が一緒に使われておりました。寛次郎が30歳の時、釉薬のお手伝いをしていた五代・清水六兵衛氏から譲り受けたもので、寛次郎は個人作家ですが、窯は“京焼・清水焼”を営む地域の職工とともに使用し、窯焚きも、地域の専門の方が担っていました」

登り窯正面。文化財として調査なども行われているそう。

登り窯正面。文化財として調査なども行われているそう。

今では想像がつきませんが、かつて、50年ほど前までの五条坂は、いくつもの登り窯が焼き物を焼く煙をたなびかせる、「焼き物づくりの町」でした。昭和41年(1966)11月18日に寛次郎が亡くなるのですが、この頃、五条坂では共同窯から「個人窯」への転換が進んでいました。それに加え、昭和46年(1971)に「京都府公害防止条例」が施行されたことにより、五条坂から完全に登り窯の火が消えることとなりました。

寛次郎が使用した「2室目」の内部。

寛次郎が使用した「2室目」の内部。

鷺さん 「元々は、登り窯を遺すために、ここを記念館にしたわけではないんです。寛次郎が設計し、暮らした家を遺したい。その思いから、昭和48年に記念館をオープンしました。でも、今や五条坂にきちんとした形で遺る登り窯も3つほどになってしまいました。維持は大変ですが、できる限り伝えていければと思います」

五条坂という地域の歴史を物語る、登り窯。往時の息吹を伝える貴重な遺構に触れることで、この地で何があったのかを知る、大切な経験になるかと思います。

ミュージアムグッズや刊行物を、おみやげに♪

館内では、記念館オリジナルのグッズも用意されていて、一部のグッズはメールにてお取り寄せもできます。ぜひ、公式ホームページを確認してみてください。

館内に飾られる書。

館内に飾られる書。

また、河井寛次郎という方は、フレッシュな感性を言葉に表現されることがとても巧みな方で、館内に飾られる言葉もひとつひとつ、趣があります。受付で販売されている刊行物からも、生活、生きることに対する深い愛情を感じられますので、ぜひ手に取られてみてはいかがでしょうか。

*****
河井寛次郎記念館を訪れると、清々しい気配を感じます。それは、生きることへの寛次郎の気持ちなのかもしれません。日々がどれだけ美しいか、日常にはどれだけ驚きが隠されているか。それを発見するのか、しないのか。意識するのか、しないのか。実は世界には美しいものばかりで、記念館を訪れることは、そのことに気づかせてくれる一歩となるのではないかと思います。

感動して、身をよじって、いつもと違う自分を発見して、美しさに身もだえする。
「ああ、世界はなんと美しいことか」

寛次郎のフレッシュな心に触れに、ぜひ記念館を訪ねてみてください。
■河井寛次郎記念館
【開館時間】10:00~17:00(入館16:30)
【入館料】大人900円、高・大学生500円、小・中学生300円、年間パス3,000円
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)、夏期・冬期休館あり
【電話】075-561-3585
【アクセス】市バス「馬町」バス停から徒歩約1分、京阪本線「清水五条駅」から徒歩約10分 Google map
【公式ホームページ】http://www.kanjiro.jp/
※3・6・9・12月に展示替えあり。
※館内の写真撮影は、受付にてお申し出ください。
※掲載内容は2021年4月14日時点の情報です。最新情報は掲載先へご確認ください。

Written by. みさご

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