天台宗山門派の寺院。天下を統一した秀吉が東大寺の大仏にならって大仏殿の建立をはじめたが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長17年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成する。完成後、落慶供養を行う手筈となっていたが、銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられ、大坂冬の陣の導火線となった。現在は、大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが往時の遺構である。
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