もともとは会津の城下にあったが、天正年間に天台宗松陰坊の遺跡といわれる現在の地に移転した。その後天明の大火によって焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。境内墓地には、江戸時代の茶人として有名な金森宗和と、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚の墓がある。山門は「額縁門」と呼ばれており、山門を通して比叡山を眺めると、あたかも額に入ったように見える。
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