応仁の乱550年 国宝でたどる美術史の大転換

  • 知る・学ぶ

(左から)橋本麻里さん/山下裕二教授

京博「国宝」展セミナー 3


2017年10月3日(火)から11月26日(日)まで京都国立博物館で開催される特別展覧会「国宝」(以下、「国宝」展)。120周年を迎える京都国立博物館で、実に41年ぶりに、満を持して開催される「国宝」展について、山下裕二先生(明治学院大学教授、美術史家)と橋本麻里さん(美術ライター)に、縦横無尽に語っていただきました。今回は第2部として行われた山下先生と橋本さんのトークセッション、前半部分をお届けします。
⇒『京博「国宝」展セミナー 1(第1部基調講演前半)』はこちらから
 
⇒『京博「国宝」展セミナー 2(第1部基調講演後半)』はこちらから

※本稿は2017年9月17日(日)に、毎日ホール(東京)で開催されたセミナーの抄録です。

京都ジョーク ──「前の戦争で焼けまして」は応仁の乱

橋本麻里(橋本) さて、第1部(前半後半)では山下裕二先生に、縄文土器から近世絵画まで、「私の好きな国宝」というテーマで縦横無尽に語っていただきました。ここからは私もご一緒しますが、何か一つテーマを設けた方がいいだろうということで、いろいろな意味で2017年を象徴するベストセラーとなりそうな、呉座勇一さんの『応仁の乱』(中公新書、2017年)を踏まえてみようと思います。今年、勃発から550年を迎える応仁の乱は、政治史だけの画期ではありません。この時期を境として、それ以前/以後の美術にどんな変化が起こったかをお話して行きたいと思います。まず乱「以前」を、「唐物ファーストの時代」と題してみました。

山下裕二(山下) 1467年~1477年、都合11年に渡る大乱で、年号で言えば応仁の次の「文明」まで続いていますから、正式には「応仁・文明の乱」ですね。京都が丸焼けになった大乱です。

橋本 「前の戦争で焼けまして」という、有名な京都ジョークの元ネタですね。

山下 僕は京都のタクシーの運転手さんが本当に「先の戦争で焼けましてなあ」というのを聞いたことがあります(笑)。「ほんで、日野富子っちゅう悪い女がおりましてな」って、ついこの間のことのように言うんです。そこまで昔の話じゃなくても、江戸時代の画家に親しみを込めて「若冲さん」「応挙さん」って呼ぶでしょう。教科書で「円山応挙」について勉強する前に、「応挙さん」の名前を親から聞いて知っている。やっぱり京都って歴史と地続きなんだ、と実感させられます。

before応仁の乱 ──「唐物ファーストの時代」

橋本 そんな京都の、歴史の連続性が断たれそうになるほどの大規模な戦乱が、応仁の乱でした。まず乱が起こる前、「唐物ファーストの時代」から見て行きたいと思います。足利義満、義持、義教ら歴代の足利将軍が、日明貿易を介して積極的に唐物を蒐集した、中国美術がまさに先生であり、舶来の超高級ブランドだった時代です。義満、といってまず思い浮かぶのは鹿苑寺の金閣ですが、山下先生はこの内部に入ったことがあるそうですね。

山下 はい、自慢のひとつです(笑)。舎利殿「金閣」は、和漢/聖俗の様式が混淆した、他に類を見ないハイブリッド建築。第1層は寝殿造、第2層「潮音堂」は書院造の観音堂。そして最上階である第三層は中国的な禅宗様の仏殿で中央に仏舎利(仏陀の遺骨に見立てた宝物)が安置されています。鏡のような黒漆塗の床に、周囲に貼られた金箔の光が映り込んでいました。

橋本 そこに実現されているのは、いわゆる「ワビサビ」「余白の美」とはまったく違う美しさ、美意識です。千利休が待庵をつくった時から200年近く前の日本では、こちらの方がむしろ優勢だったわけですね。

山下 そうです。この金閣と隣り合って建っていたのが、「会所」と呼ばれる、大勢のお客さんを応接、饗応するための特別な施設でした。数十畳もあるような大広間に、掛物、香合、花生など唐物をゴテゴテと目いっぱい掛け並べてね。

橋本 唐物を使って将軍の財力、権力、美意識を、他の武家や公家に対して誇示するための施設、というわけですが、作品の展示マニュアル、あるいはそれぞれを価値の順に並べたランキングなどを整備したのは、能阿弥、相阿弥ら名に「阿弥」とつく、僧体の同朋衆たちです。彼らはいわば、足利将軍直属のアートディレクターのような存在です。前半の講演で紹介された能阿弥も、その1人ですね。
そしてもうひとつ、足利将軍やそのコレクションと関係深いのが、義満の発願によって創建された臨済宗の相国寺です。京都五山の第2位に列せられた禅宗の巨刹であるのと同時に、室町幕府の外交や財務を支える、官僚組織の一端でもありました。この相国寺に在籍した画僧──絵を専門とするお坊さんの中から、如拙(じょせつ)周文(しゅうぶん)雪舟(せっしゅう)という、日本の中世水墨画を代表する人たちが登場してきます。山下先生の本来のご専門は、この中世水墨画なんですよね。

山下 最近は現代美術の人だと思われてますけどね(笑)。彼ら日本人の絵師たちが手本にしたのが、こうした将軍家のコレクションに入っていた中国絵画なんですが、考えてみたら今回の「国宝」展に、そうした中国絵画が20件も入っているんです。「国」宝なんだけど、日本製だけじゃなく、中国製の作品も含まれる。残念ながらそのことを一般の人はあまり知らないし、作品自体の知名度も低い。でも中国絵画のクオリティを眼に叩き込むことによって、日本美術の見方はずいぶん変わって来ます。僕は学生時代、戸田禎佑さんという中国美術の先生に、穴が空くほど中国絵画を見せられました。

「東洋のモナリザ」 ──牧谿《観音猿鶴図》

橋本 まさに先ほど(第1部 後半)、その中国美術を手本として、長谷川等伯がどのように《松林図屛風》を書いたのか、教えていただきました。日本にもたらされた中国絵画の本当にいいものを知った上で、その後に描かれた日本の絵画を見ると、「なるほど、彼らは中国絵画をいったん消化した上で、こういう絵を描いたんだな」ということがわかってくるのではないか。そのあたりが今日の大きなポイントになると思います。
等伯のパートに登場した《観音猿鶴図》、本紙だけで縦172~3センチありますから、表具まで含めれば、確かに2メートル近くある大作です。これを描いたのが、牧谿(もっけい)というお坊さんでした。

国宝 観音猿鶴図 牧谿筆
中国・南宋時代 13世紀 京都・大徳寺 【III期】

山下 13世紀、中国の南宋から、元時代にちょっとかかるくらいまで活動した人です。長谷川等伯より300年近く前の人なんだけど、これはやっぱりすごい絵です……。

橋本 山下先生が常々、「東洋絵画の最高峰」「東洋のモナリザ」と讃えている作品ですね。

山下 そうそうそう。僕はそれくらい突出した作品だと確信していますが、世界的にも、中国の人も、もちろん日本人も、その価値をわかっていない。そこがすごくもったいないし、残念だと思うんです。東京では今年の春、東京国立博物館の特別展「茶の湯」に久しぶりで展示されました。1996年、五島美術館での「牧谿展」以来、21年ぶりです。

橋本 それが今年再び、「国宝」展第III期に展示される、と。

山下 ぜひこの機会に、実物を見てほしい。たとえば、水墨画だから墨一色と思ってしまいがちですが、タンチョウヅルの頭にほんのり薄く朱が塗られています。明け方くらいの光でしょうか、その赤がうっすらと認識できる程度の光が射している。牧谿は大気と光の表現を得意とした人ですが、観音が座る洞窟の中の、湿った空気の感覚も見事に表現されています。テナガザルのふわっとした毛の質感や、竹の葉のグラデーションもたまりません。

橋本 南宋の首都は現在の浙江省杭州市、西湖の畔にある臨安で、とても湿潤な気候だったようですね。牧谿の絵にも、そういう環境が反映している。

山下 以前、杭州を訪ねたことがありますが、牧谿がいたというお寺は、文化大革命で破壊されていました。地元のお爺さんが「文革前までは確かにあった」と。それともうひとつ、牧谿の絵は中国に1点も残っていません。欧米にもない。日本人がいかに牧谿を大切にしてきたか、その一事からもわかろうというものです。

足利将軍家の「アートディレクター」同朋衆の“創作”

橋本 もう1件、やはり牧谿同様に日本で大切にされていたのが、南宋宮廷の画院に仕えていた画家、梁楷(りょうかい)です。こちらは梁楷による《出山釈迦・雪景山水図》三幅対と伝わる作品ですが……。

国宝 出山釈迦図・雪景山水図 梁楷/伝梁楷筆
釈迦・左幅:中国・南宋時代 13世紀、右幅:中国・南宋~元時代 13~14世紀
東京国立博物館 【III期】

山下 我々の専門用語で「異種配合」と呼ばれるタイプの作品です。真ん中の《出山釈迦図》、要するにお釈迦さんが山で辛い修行をして、それでも悟りを得ることができず、痩せ衰えて山から降りてきた、そういうシーンを描いています。この腕の、骨や筋肉の付き方の見事な描きぶりを見て下さい。……ところがその左右の二幅の山水図は、本来真ん中の絵とまったく関係なく描かれたもの、さらに向かって左の山水図は梁楷作と皆が認めていますが、右の山水図については、少し時代が下るコピーだろうと言われています。それを室町時代の日本で、三幅対のセットにしてしまったんですね。

橋本 三幅対を、いわば「創作」してしまったのが、同朋衆

山下 今で言う学芸員的な仕事をしていた人たちですからね。彼らの業務は絵の鑑定から展示マニュアルの作成まで、多岐にわたっており、自分で絵を描くことまでしていました。

橋本 学芸員として、将軍家がコレクションする最高ランクの作品を目にし、その知識を活かすことができたということですね。さて、《出山釈迦図》三幅対ですが、足利将軍家から出た後、数奇な運命をたどります。それぞれバラバラになって伝世したのですが、近代になると、まず1948年に梁楷真筆の《雪景山水図》が東京国立博物館の所蔵となります。そして1997年に《出山釈迦図》、2004年に伝梁楷の《雪景山水図》が相次いで東博に入り、長い年月を隔てて再び元の姿を取り戻すのです。そして国宝、重要文化財と個別に指定されていたものを、2007年に3点で1件の国宝として、統合指定しました

山下 次のこちらも画院画家の作品です。李迪(りてき)という人が描いた《紅白芙蓉図》。小さな絵で、現状は「双幅」と呼ばれる二対の掛け軸に仕立てられていますが、当初は画帖仕立てだった可能性があります。

国宝 紅白芙蓉図 李迪筆
中国・南宋時代 慶元3年(1197) 東京国立博物館 【I期】

橋本 アルバムのような冊子に、他の絵と共に貼りこんであった、ということですね。紅白2種の花ではなく、最初は白い花をつけ、しだいに紅色を帯びていくところから「酔芙蓉」と呼ばれた、芙蓉の八重咲きの変種を描いたと考えられています。

山下 戸田先生がよく「くそリアリズム」とおっしゃっていた、典型的な画院画家の絵で、繊細極まりない作品です。

中国美術は難しい!?

橋本 同じく李迪の《帰牧図》も出品作のひとつ。これもなかなか問題作で……。

国宝 帰牧図 附 牽牛 李迪筆
中国・南宋時代12~13世紀 奈良・大和文華館 【II期】

山下 これは奈良の大和文華館が所蔵されている、《帰牧図》附牽牛の、双幅の作品です。僕が在籍していた東大の美術史学科では、毎年秋になると関西へ研修旅行に行っていたのですが、その時は必ず大和文華館へ立ち寄り、この作品を見せていただいていました。そうするとね、教養課程を終わって専門課程に進んだばかりの3年生の前に2つの絵が並べられて、「この絵はどちらかがオリジナルで、どちらかはコピーです。さあ、オリジナルはどちらでしょう」って、試験されるんです(笑)。(会場に)皆さん、どちらがオリジナルかわかりますか?

橋本 時間もありませんので、答えを教えていただけますか(笑)?

山下 簡単にはわかりにくい話なんですが、ものすごく端折ってお答えすると、左は李迪本人が活躍した南宋時代(13世紀)から少し下ったコピーだろうと言われています。それに対して、向かって右側の絵は牛を起点に、木の枝や、人物の持った竿などが放射状に広がっていく、非常によく計算された、安定感のある構図になっています。また画面右手前に崖のようなものを描くことで、奥行きも出てくる。一方、左側の人物は、比喩ではなくて、地に足がついていない(笑)。そういうところが「写し崩れ」ではないか、と専門家からは言われています。これも実物を見ていただけると、クオリティの違いは一目瞭然ですから、私のお話したことが実感を伴って理解いただけると思います。ですから右の作品が国宝で、左の作品は「附」、その付属品、という扱いなんですね。

橋本 こういう中国美術は、パッと見た瞬間、伊藤若冲のように「きれい」とか「カッコいい」と感じるのが難しい作品ばかり。どうやって楽しんだらいいのでしょう

山下 うーん……楽しめない(笑)。今ならいい体験だったと振り返れますが、中国美術を叩き込まれていた当時は、苦しかったです。台湾の故宮博物院に先生と一緒に行き、朝から晩まで開館時間中ずっと博物館の中にいて、作品を観て、メモを取り続ける。そんな「修行」ですからね。それから20年経ってみてようやく、「日本美術には日本美術の、中国美術とまったく異なる、本当に面白いものがあるんだ」と声を大にして言えるようになりました。

橋本 山下先生はこれまで、超絶技巧工芸江戸絵画など、多くの人気の展覧会を仕掛けてこられましたが、会場の皆さんもお好きな江戸絵画の奥に、こんな世界があるんだ、ということを知っていただけると嬉しいです。
さて、「唐物」の圧倒的なクオリティは、絵画に限ったことではありません。陶磁器の分野も少し見てみたいと思います。「国宝」展には青磁だけでも《青磁鳳凰耳花入 銘 万声》《飛青磁花入》《青磁下蕪花入》と、南宋~元時代の作品が3件出展されます。昨年末から今年春にかけて、大阪市立東洋陶磁美術館で、特別展「台北 國立故宮博物院—北宋汝窯青磁水仙盆」が開催されましたが、そこで紹介されたのは、11世紀末~12世紀初にかけて、北宋の官窯(宮廷直属の窯)で焼かれた汝窯青磁の傑作です。「完璧」という漢語そのまま(璧は中国の玉器の一種。それが無傷な、完全無欠の状態で優れているさま)の作品ですが、この時期を頂点として、玉の色を目指して焼かれた、左右対称で歪みも欠けもない、龍泉窯をはじめとする官窯青磁の傑作が、日本にも輸入され、長い間大切にされてきました。

山下 青磁の完璧さは確かにすごいんだけど、「好き」って気持ちになりにくいんですよ。台北の故宮博物院で大規模な汝窯青磁の展覧会があった時、清の乾隆帝が愛好したという、まさに国宝級の《水仙盆》を見ましたが、一緒に聞かされた「乾隆帝が愛猫の餌入れにしていた」というエピソードを知って、かなり気に入りました。

橋本 山下先生はこういう方なんですよね。どうしても権威をおちょくりたくなる(笑)。

あの曜変天目は本物か!? ──雪舟の《慧可断臂図》も真偽の論争があった

山下 「国宝」展の応援に最も向かない男じゃないかと思ってるんだけど(笑)。ああ、でも《油滴天目茶碗》とか《曜変天目茶碗》とか、天目茶碗は割と好きですよ。静嘉堂文庫所蔵の《曜変天目茶碗》は高台周りにトロっと溜まった釉薬の、「トンカツソース」みたいな感じが好き。公開されるたびに、「ここが見どころだよな」と思って見ています。(「国宝」展に大徳寺龍光院所蔵の《曜変天目茶碗》がII期に出展されることが、このトークイベントの後で発表された)。

橋本 天目茶碗については、いろいろニュースにもなった話題がありましたが、作品の真贋について、専門家の間でも意見が割れることは珍しくないそうですね。

山下 雪舟の《慧可断臂図》(えかだんぴず)だって、偽物だという人がいたんです。だから15年前、2002年の京都国立博物館「特別展覧会 没後500年 『雪舟』」の時には、まだ重文でした。

国宝 慧可断臂図 雪舟筆
室町時代 明応5年(1496) 愛知・斉年寺 【I期・II期】

橋本 それから数年で、《慧可断臂図》は国宝になり、「国宝」展では雪舟の国宝作品全6件が勢揃いしますこの雪舟こそ、「応仁の乱」後を代表する絵師の1人。このあたりからいよいよ日本人が活躍し始めますが、まずは雪舟の先輩たち、相国寺に所属し、足利将軍家の御用絵師を務めた画僧を2人、ご紹介しましょう。

after応仁の乱 ──如拙、周文、狩野派、そして雪舟へ



国宝 瓢鮎図 如拙筆 大岳周崇等三十一僧賛 (下)部分
室町時代 15世紀 京都・退蔵院 【10/24~IV期】

山下 如拙の《瓢鮎図》(ひょうねんず)です。ご紹介のあったとおり禅宗のお坊さんで絵描きですが、限りなくプロに近い人で、非常に上手い。人物の衣の線がギザギザしているのは、梁楷スタイル。これは梁楷の目印みたいなものですね。この作品は「瓢箪で鯰を押さえられるか」、ツルツルしたものでヌルヌルするものを押さえるという、本来不可能なことをどう考えるか、という禅問答を絵画化したものです。ただそんな主題を抜きにしても面白いのは、画面の隅々まで造形的な感覚が行き届いているところです。まず水際のS字の曲線、そして鯰が描くS字の曲線。さらに竹も同じようにしならせ、曲線のリズム感が実に見事に調和しています。そして絵の上には31人ものお坊さんが、禅問答の答を自分なりに書いています。ポイントはその内容ではなく、生没年がわかる禅僧が31人も集まると、この絵が描かれた大体の年代が推測できること。それが15世紀の初め頃です。いまは掛け軸の形になっていますが、当時は衝立の裏表に絵と賛とが貼られ、将軍の居室で使われていたものだということもわかっています。日本のものとしてはもっとも早い時期の、本格的な中国風の水墨画といっていいでしょう。

橋本 そして如拙に続く将軍家の御用絵師が、雪舟の師でもある周文です。

国宝 竹斎読書図 伝周文筆 竺雲等連等六僧賛 (右)部分
室町時代[序]文安4年(1447) 東京国立博物館 【III期・IV期】

山下 伝周文《竹斎読書図》、いわゆる「詩画軸」と呼ばれるタイプの絵ですね。絵があり、その上にお坊さんが寄ってたかって漢詩を寄せたものです。周文が描いたと伝承されていますが、確証はない。だから作者名については「伝周文」と記されています。

橋本 「伝周文」のように作者名につく場合もあれば、「伝源頼朝像」のように作品名につく場合もあります。

山下 以前、南伸坊さんと話していた時、“オレ、「伝さん」って苗字の人が大勢いたのかと思ってたよ”って言ってました(笑)。そういう意味の「伝」はついていますが、僕は周文真筆の可能性もあると思っています。墨のグラデーションのコントロールも繊細で、いい作品だと思うんだけど、賛を読むのがとにかく大変。京都五山、将軍直属のお寺の坊さんたちが集まる文芸サークル内での、知的で高尚な遊びですから。

橋本 だんだん雰囲気が変わってきました。こちらは狩野派の初代、狩野正信の《周茂叔愛蓮図》(しゅうもしゅくあいれんず)です。

国宝 周茂叔愛蓮図 狩野正信筆 (右)部分
室町時代 15世紀 福岡・九州国立博物館 【III期・IV期】

山下 前の人たちと全然違うでしょう? 前2点は何となくぼやっとした感じだったけど、正信はスキッとしている。ちょっと色も使って、形もスッキリ。ある意味わかりやすいんです。上部には賛を入れるつもりだったと思いますが、何らかの理由で賛は入っていません。皆さんよくご存知の、狩野永徳はこの正信から3代後、狩野派の4代目として、16世紀、桃山時代に活躍しています。

橋本 正信あたりになると、乱の前後を通じて活動していますから、応仁の乱以前世代、とも言い切れなくなってきます。また如拙、周文、小栗宗湛(おぐりそうたん)と代々相国寺の画僧が務めた将軍家の御用絵師に、俗人として初めて就任した人でもあります。そうした背景を知っていくと、より新しい世代のように感じられます。
そして紛う方なき「乱後」世代の絵師と言えるのが、雪舟です。

⇒『京博「国宝」展セミナー 4』はこちらから

橋本 麻里さん(ライター・エディター 永青文庫副館長)
新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術を楽しく、わかりやすく解説。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)ほか多数。

 

■開館120周年記念 特別展覧会 国宝
【会期】2017年10月3日(火)~11月26日(日)
I期 10月3日(火)~15日(日)/II期 10月17日(火)~29日(日)/III期 10月31日(火)~11月12日(日)/IV期11月14日(火)~26日(日) ※I~IV期は主な展示替です。一部の作品は上記以外に展示替が行われます。

【開館時間】9:30~18:00(入館は17:30まで)、金曜日・土曜日は~20:00(入館は19:30まで)
【休館日】月曜日 ※10月9日(月・祝)は開館、10日(火)は休館
【料金】一般 1,500円、大学生 1,200円、高校生 900円
【場所】京都国立博物館(平成知新館) 詳細情報はこちら
【公式ホームページ】http://kyoto-kokuhou2017.jp/


 

おすすめコンテンツ