“祇園祭の山鉾巡行、3年ぶりに開催決定”
毎年、祇園祭を楽しみにしている方にとって待望のニュースが飛び込んできました。
2年続けて開催できなかったのは太平洋戦争以来ということで、巡行再開に注目が集まる祇園祭ですが、今年はさらなるビッグニュースがあります。それが、約200年ぶりとなる“鷹山の巡行復帰”です!
\後編。祇園祭本番を想定したリハーサル風景&鷹山の宵山・スケジュールは、こちらをチェック!/
⇒2022年祇園祭。ついにお目見え!“鷹山”巡行復帰目前のリハーサルをレポート
毎年、祇園祭を楽しみにしている方にとって待望のニュースが飛び込んできました。
2年続けて開催できなかったのは太平洋戦争以来ということで、巡行再開に注目が集まる祇園祭ですが、今年はさらなるビッグニュースがあります。それが、約200年ぶりとなる“鷹山の巡行復帰”です!
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まずはおさらい。鷹山ってどんな山?
祇園祭には前祭・後祭あわせて34基の山鉾が登場しますが、巡行に参加しない「休み山」がありました。それが後祭の「鷹山」です。
歴史は古く、応仁の乱以前に存在が確認できるほど。ところが、文政9年(1826)の大風雨と元治元年(1864)の大火の被害を受けて山車(だし)や懸装品を失い、「休み山」となりました。
歴史は古く、応仁の乱以前に存在が確認できるほど。ところが、文政9年(1826)の大風雨と元治元年(1864)の大火の被害を受けて山車(だし)や懸装品を失い、「休み山」となりました。
鷹山復興に向けて
近年、復興を望む声が高まり、山鉾巡行への復帰を目指して活動が始まります。
2012年に「鷹山の歴史と未来を語る会」の立ち上げから始まり、2014年には囃子方(はやしかた)を結成、2016年に保存会設立と続きます。2019年にはご神号を納めた木箱を運ぶ「唐櫃(からびつ)巡行」で巡行に参加し、2020年からは山車の製作が本格始動。水引や胴懸(どうかけ)といった懸装品も揃いはじめ、2021年にはついに山車本体が完成しました。
2012年に「鷹山の歴史と未来を語る会」の立ち上げから始まり、2014年には囃子方(はやしかた)を結成、2016年に保存会設立と続きます。2019年にはご神号を納めた木箱を運ぶ「唐櫃(からびつ)巡行」で巡行に参加し、2020年からは山車の製作が本格始動。水引や胴懸(どうかけ)といった懸装品も揃いはじめ、2021年にはついに山車本体が完成しました。
巡行復帰のための練習が始まる!
約200年ぶりとなる山車での巡行復帰を目前に控え、鷹山保存会では、2021年11月より月に1度、本番に向けての練習と研修が行われてきました。今回は、その一部をご紹介しましょう。
練習が行われてきたのは大きく分けて2つ。車方(くるまかた)による「山車の舵取り」と、手伝い方(てつだいかた)による「縄がらみ」です。
練習が行われてきたのは大きく分けて2つ。車方(くるまかた)による「山車の舵取り」と、手伝い方(てつだいかた)による「縄がらみ」です。
鷹山を支える3つの役職
巡行は作事三方(さくじさんかた)と呼ばれる3つの役職に所属する皆さんによって支えられています。
“手伝い方”は「縄がらみ」と呼ばれる技法を用い、藁縄(わらなわ)で縛りながら山車の本体となる櫓(やぐら)の組み立てを行います。
櫓に舞台や屋根を組み上げるのが“大工方(だいくかた)”。
最後に紹介するのは“車方”。車輪の取付けから、巡行で方向転換や一時停止といった山車の舵取りを担当します。
“手伝い方”は「縄がらみ」と呼ばれる技法を用い、藁縄(わらなわ)で縛りながら山車の本体となる櫓(やぐら)の組み立てを行います。
櫓に舞台や屋根を組み上げるのが“大工方(だいくかた)”。
最後に紹介するのは“車方”。車輪の取付けから、巡行で方向転換や一時停止といった山車の舵取りを担当します。
難所を再現して行われた「車方」の練習
車方の練習が行われたのは、京丹波町にある安井杢(やすいもく)工務店。鷹山復興にあたり、舞台や屋根といった山車の新調部分の製作を手がけた会社です。
車方の練習内容は3つ。「車輪の取付」と「山車を真っ直ぐ走らせるための舵取り」、そして、最も力が入っていた「辻廻し(つじまわし)」です。
車と違ってハンドルやステアリングが付いていない山車は、前後に進むことしかできません。そのため、方向転換をするには山車を90度回転させる「辻廻し」が必要です。
辻廻しの練習に力を入れる理由は、鷹山のサイズと巡行ルートにありました。
辻廻しの練習に力を入れる理由は、鷹山のサイズと巡行ルートにありました。
鷹山は長さ約6メートル、幅約4メートル、高さ約15メートルと、後祭に参加する北観音山や南観音山に近い形をしており、鉾のように大がかりなもの。巡行では懸装品を飾り人も乗るため、総重量は十数トンになると考えられます。
そして、鷹山が巡行で行う辻廻しは計6回あり、うち2回は新町三条の交差点で行われます。
この交差点がくせ者で、道幅が狭いのはもちろんのこと、山鉾の辻廻しを想定していないため建物や標識が密集し難所となっています。特大サイズの鷹山にとっては、少しのズレで大事故になりかねません。道路の長さや建物の高さ、標識の位置などを正確に計り、練習場で再現しながら繰り返し予行練習が行われました。
この交差点がくせ者で、道幅が狭いのはもちろんのこと、山鉾の辻廻しを想定していないため建物や標識が密集し難所となっています。特大サイズの鷹山にとっては、少しのズレで大事故になりかねません。道路の長さや建物の高さ、標識の位置などを正確に計り、練習場で再現しながら繰り返し予行練習が行われました。
「十字路への侵入のタイミングは?」「山車を引く綱はどこまで延ばせる?」「出っ張った屋根が建物に当たらない範囲はどこ?」など、道幅だけではなく頭上にも注意しながら立体的に検討が重ねられます。
「初めての巡行。どれだけ練習を重ねても、本番には想定外のことが起きるはず。それでも色々な状況を想定して対応力を上げていこう」と車方の長である井上八三郎さんを中心に全員で意見を出し合い、ひとつひとつ問題をクリアしていきます。
車方の熱い想いを感じる練習を見れば見るほど、本番が楽しみでしかたありません!
「初めての巡行。どれだけ練習を重ねても、本番には想定外のことが起きるはず。それでも色々な状況を想定して対応力を上げていこう」と車方の長である井上八三郎さんを中心に全員で意見を出し合い、ひとつひとつ問題をクリアしていきます。
車方の熱い想いを感じる練習を見れば見るほど、本番が楽しみでしかたありません!
「手伝い方」による“縄がらみ”の組み立て練習
手伝い方の練習は、本番に山を建てるのと同じ場所で行われました。
巨大な山を支える櫓は、釘を1本も使わず、縄で固定することで組み立てられます。
そこで使われるのが、“縄がらみ”と呼ばれる特殊な技法です。一巻きずつ縄が緩まないよう木槌(きづち)で叩いては引っ張り、隙間なく締めつけながら柱の接合部分を縛っていきます。縄で固定するからこそ、運行中の揺れやきしみを吸収し、破損から守れるそうです。
そこで使われるのが、“縄がらみ”と呼ばれる特殊な技法です。一巻きずつ縄が緩まないよう木槌(きづち)で叩いては引っ張り、隙間なく締めつけながら柱の接合部分を縛っていきます。縄で固定するからこそ、運行中の揺れやきしみを吸収し、破損から守れるそうです。
棟梁として手伝い方を率いるのが、森耕一さん。長年、前祭の“放下鉾”で縄がらみに参加してきたプロフェッショナルです。本番に向けて作業スピードの向上と正確さを高めるべく、メンバーへの指示にも力が入ります。
そんな森さんの本職は庭師だそう。他にも、学生や元刑事のカレー屋さん、理髪店のマスターなど、年齢や職業もバラバラな方達が“復興”を目指して鷹山保存会に集っています。「祇園祭を支える柱のひとつは町衆の力」といわれる由縁がよく分かります。
そんな森さんの本職は庭師だそう。他にも、学生や元刑事のカレー屋さん、理髪店のマスターなど、年齢や職業もバラバラな方達が“復興”を目指して鷹山保存会に集っています。「祇園祭を支える柱のひとつは町衆の力」といわれる由縁がよく分かります。
完成した縄がらみは美しい模様のような形となり、ひとつの芸術作品のよう。懸装品が飾られると見えなくなってしまうため、山建ての日に町内を訪れる際は、注目してみてください。
鷹山復興を牽引してきた保存会理事長の想い
「鷹山の歴史と未来を語る会」の結成から始まった鷹山復興の歩みは、ついに櫓を組んで巡行の練習ができるまでになりました。この流れを牽引してきたのが、鷹山保存会理事長の山田純司さん。その原動力は何だったのでしょうか。
鷹山の町内で育ち、少年時代は囃子方に強い憧れを持っていたそうです。しかし、鷹山は休み山で、山車はもちろんお囃子もありません。他の山鉾町の友人達が活躍するのを見るたびに「なぜ、うちの町内には山がないんだ!」と悔しい思いをしてきたそう。
「196年ぶりの復興を目指すというのも大切ですが、それ以上に、60年前に抱いた想いを大切にしてきたからこそ、ここまで来られたのだと思います」
鷹山の町内で育ち、少年時代は囃子方に強い憧れを持っていたそうです。しかし、鷹山は休み山で、山車はもちろんお囃子もありません。他の山鉾町の友人達が活躍するのを見るたびに「なぜ、うちの町内には山がないんだ!」と悔しい思いをしてきたそう。
「196年ぶりの復興を目指すというのも大切ですが、それ以上に、60年前に抱いた想いを大切にしてきたからこそ、ここまで来られたのだと思います」
山田さんは、自分の代で鷹山のすべてを完成させたいとは考えていないそう。
「金工品や見送(みおくり)など、まだまだ揃えないといけない懸装品がたくさんあります。金銭的にも時間的にも難しいというのもありますが、私の代ですべて揃えてしまうと、次代はただ引き継ぐだけになります。自分たちで揃えていくことで、鷹山に愛着を持って欲しい」
それが、鷹山を今後何百年と守り伝えていくための原動力になると、山田さんは信じています。そして・・・
「自分が一番、鷹山を楽しんでいる!」
この言葉こそが、約200年ぶりの快挙を実現した一番の理由なのだと、胸に響きました。
「金工品や見送(みおくり)など、まだまだ揃えないといけない懸装品がたくさんあります。金銭的にも時間的にも難しいというのもありますが、私の代ですべて揃えてしまうと、次代はただ引き継ぐだけになります。自分たちで揃えていくことで、鷹山に愛着を持って欲しい」
それが、鷹山を今後何百年と守り伝えていくための原動力になると、山田さんは信じています。そして・・・
「自分が一番、鷹山を楽しんでいる!」
この言葉こそが、約200年ぶりの快挙を実現した一番の理由なのだと、胸に響きました。
鷹山の歴史的瞬間を7月上旬にお届け!
鷹山の活動はまだまだ続きます。2022年4月29日~5月5日のゴールデンウィークに本番を想定して行われたリハーサルは、ニュースにも取り上げられ大きな話題となりました。7月上旬公開予定の「そう京」ブログでは、その歴史的瞬間をお届けします。
さらに、今年の祇園祭で行われる鷹山の行事スケジュールもあわせてご紹介しますので、お見逃しなく!
さらに、今年の祇園祭で行われる鷹山の行事スケジュールもあわせてご紹介しますので、お見逃しなく!
※掲載内容は2022年6月17日時点の情報です。