千本釈迦堂に“国宝仏”が誕生! 仏像の鑑賞ポイントをチェック♪

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木造六観音菩薩像

木造六観音菩薩像

洛中最古の木造建築を有することで知られる千本釈迦堂に、このたび“国宝仏”が誕生しました。2024年の文化審議会の答申によって国宝に指定されたのは、「木造六観音菩薩像」と「木造地蔵菩薩立像」の2件。ひとつのお寺で仏像が一挙に2件も国宝に指定されるのは珍しいそうです。

ご住職の菊入諒如さん

ご住職の菊入諒如さん

取材にあたり、ご住職の菊入諒如さんにお話をお聞きしました。じつは千本釈迦堂は名仏の宝庫。新指定の仏像をはじめ、魅力をたっぷりとご紹介します!

本堂は洛中最古の木造建築

  • 本堂(国宝)

    本堂(国宝)

  • おかめさんの像

    おかめさんの像

千本釈迦堂では拝観料600円で本堂と宝物が収められた霊宝殿の両方を拝観できます。
 
本堂はお寺の創建から6年後の安貞元年(1227)に建立されました。応仁の乱をはじめとする戦火を奇跡的に免れ、洛中最古の木造建築として国宝に指定されています。
 
本堂の建立には、涙なしには語れない夫婦のエピソードも。あるとき、大工の棟梁が柱の寸法を誤ってしまい途方に暮れていたところ、妻のおかめさんの機転によって事なきを得ます。しかし、妻の助言が世間に知れては棟梁の名折れだと、おかめさんは完成を待たずして命を絶ってしまうのでした。本堂が創建当時のまま残っているのは、今でもおかめさんの加護が働いているのかもしれません。

霊宝殿は国宝、重要文化財が目白押し! 

  • 霊宝殿 外観

    霊宝殿 外観

  • 屋根瓦におかめさんを発見! 霊宝殿も守っているのですね

    屋根瓦におかめさんを発見! 霊宝殿も守っているのですね

約800年にわたってお寺の主となる本堂が守られてきたため、千本釈迦堂には貴重な文化財が多数受け継がれています。それらの宝物を守るために、昭和41年(1966)に第一収蔵庫、昭和60年(1985)に第二収蔵庫が造られ、第二収蔵庫が霊宝殿として一般に公開にされています。

霊宝殿 内観

霊宝殿 内観

鉄筋コンクリート造りの霊宝殿ですが、内部の材はすべてヒノキ。仏像を安置する空間としてお堂をイメージしているそうです。
 
※霊宝殿内部は撮影禁止です。取材に際し、特別な許可を得て撮影しています。

木造六観音菩薩像(国宝)

木造六観音菩薩像

木造六観音菩薩像

新指定のお披露目のため、2024年5月12日(日)まで一部の仏像が東京国立博物館に展示されていたのですが、22日(水)にお寺へ戻り、勢揃いした姿を見られるようになりました。
 
重要文化財から国宝にランクアップした木造六観音菩薩像は、像内の墨書きや納入品により貞応3年(1224)に制作されたことが分かっています。国宝になるかもしれないという話は数年前からあったそうですが、コロナ禍の影響で滞り、ようやく大願を果たしたのが今年の出来事でした。偶然にも仏像が制作されてからちょうど800年という節目の国宝指定に、仏様のご縁を感じてしまいます。千本釈迦堂にはご本尊をはじめ、重要文化財の仏像はたくさんあるのですが、国宝仏の誕生は初の快挙。喜びもひとしおです。
  • 制作年代の墨書きが胎内に見つかった准胝観音立像

    制作年代の墨書きが胎内に見つかった准胝観音立像

  • 千手観音立像の細かな手も見事

    千手観音立像の細かな手も見事

  • 馬頭観音立像。光背も美しい

    馬頭観音立像。光背も美しい

そもそも六観音とは、人間が死後に訪れる6つの世界「六道」で救いをもたらす観音様です。向かって右手から、如意輪観音坐像、准胝観音立像、十一面観音立像、馬頭観音立像、千手観音立像、聖観音立像と並びます。
 
驚くべきは保存状態の良さ。六観音信仰は平安時代から鎌倉時代にかけて流行するものの、6躯すべてが揃っている例は他にありません。さらに、台座から光背まで、すべて制作当時から失われていないという点が国宝に推挙された理由です。

鑑賞ポイント① やわらなか曲線美

如意輪観音坐像

如意輪観音坐像

さらに詳しく造形美を紐解いていきましょう。仏像の制作は、像内の墨書きによって運慶の流れを汲む仏師・肥後定慶を中心とした6人の仏師が携わったことが分かっています。
 
お像は香りの良いカヤの木を使った寄木造で、光背はヒノキで造られているそうです。針葉樹のカヤは大変堅く、彫刻には不向き。しかし、定慶は流れるような衣や柔らかい肌の質感を見事に表現しています。「堅いカヤだからこそ長きにわたって姿を留められたのかもしれません」とご住職。

鑑賞ポイント② 顔に残る小さな点々

  • 千手観音立像

    千手観音立像

  • 如意輪観音坐像

    如意輪観音坐像

着色せず、木の風合いを生かした「素地(きじ)仕上げ」のため、制作の過程を伺い知る痕跡も見られます。美術鑑賞用の単眼鏡をお持ちの方は、仏像の顔をじっくりご覧ください。よく見ると、鼻の両脇やまぶたの上に小さな点があります。これは、目、鼻、口を彫り出していく際の目印だとご住職に教えていただきました。細かな計算によって、美しい造形が成り立っているのですね。
 
また、顔をご覧になった時に、瞳にも注目してみてください。内側から水晶をはめ込む「玉眼(ぎょくがん)」という手法が用いられているため、潤んだ瞳のように見えます。

鑑賞ポイント③ 足元を覆う衣

定慶らしい造形はというと、衣の裾の表現が挙げられるそうです。幾重にも折り重なり、足元にたっぷりと衣がかかる様子は、布の柔らかさを一層際立たせています。

鑑賞ポイント④ お腹の質感

千手観音立像

千手観音立像

個人的に感動したのが、お腹の質感です。衣とは違う、ふっくらとした感触を想像してしまいませんか。それぞれのおへその枘(ほぞ)の部分からは経巻が発見されています。

木造地蔵菩薩立像(国宝)

  • 木造地蔵菩薩立像

    木造地蔵菩薩立像

  • 木造地蔵菩薩立像の台座

    木造地蔵菩薩立像の台座

  • 六観音像のうち、千手観音立像の台座

    六観音像のうち、千手観音立像の台座

六観音とあわせて国宝に指定されたのが木造地蔵菩薩立像です。じつは重要文化財にすら未指定の仏像でしたが、一気に国宝へとジャンプアップ。作者は分からないものの、六観音と変わらない像高と台座の表現が見受けられるため、おそらく同時期に制作された貴重な仏像であると評価されたそうです。昔は判明しなかったことも、現代の研究によって新たな発見が生まれるのですね。

千手観音像(重文)

霊宝殿には、まだまだ素晴らしい仏像がたくさんあります。先にご紹介した六観音や地蔵菩薩は鎌倉時代の作ですが、こちらの仏像の制作時期はなんと藤原時代。寺伝によると、雷によって倒れた自邸の梅の木を使って、菅原道真がみずから彫ったそう。写実的な鎌倉時代の仏像に比べ、醸し出す柔らかな雰囲気が魅力です。

銅像釈迦誕生仏(重文)

お釈迦様がお生まれになり、「天上天下唯我独尊」と唱えた際のポーズを象った、いわゆる“誕生仏”です。飛鳥時代にはすでに伝来していましたが、“誕生仏”といえば小さいのがセオリー。しかし、千本釈迦堂の仏像は像高約53センチもある、鎌倉時代の珍しい作例です。手が長く、螺髪の形に特徴が見られますので、じっくりと観察してみてください。

十大弟子像(重文)

十大弟子像

十大弟子像

千本釈迦堂の名仏として、六観音とともに古くから知られるのが十大弟子像です。お釈迦様がインドで修業をしていた時に付き従った弟子のうち10人の高僧を、老年、壮年、若年像であらわしています。制作者はかの大仏師、快慶。鎌倉時代、六観音と同時期に造られているため、快慶と定慶の工房の仏師が力を合わせて制作したのではないかと推測する研究もあるそうです。

鑑賞ポイント① 彫りの深い、大陸の顔立ち

舎利弗(しゃりほつ)立像

舎利弗(しゃりほつ)立像

十大弟子のなかでも、舎利弗立像は彫りが深いお顔立ちです。今でこそインド人は日本人に比べて彫りが深いと分かっていますが、快慶はインド人に実際に会うことはなかったはずです。「インドへ旅をした三蔵法師の記録などから、快慶は大陸の顔立ちをイメージしたのかもしれません」とご住職。クリエイターの想像力に脱帽です。

鑑賞ポイント② 美しい彩色と截金

富楼那(ふるな)立像

富楼那(ふるな)立像

顔面の迫力に目が奪われてしまいがちですが、きらびやかな彩色がかなり残っているのもポイント。金箔を用いた装飾「截金(きりかね)」も見られます。ひとたび展覧会に展示されると人気のあまり細部まで時間をかけて鑑賞するのが難しいこともありますが、霊宝殿ならゆっくりと堪能できるのも嬉しいですね。

鑑賞ポイント③ 腕に浮き出る血管

目犍連立像

目犍連立像

目犍連(もくけんれん)立像の足の枘に快慶の墨書銘が残ることから、この像は快慶本人が制作に力を注いだと分かります。快慶はすでに晩年で、写実性を求めた表現は高みに達していました。痩せた体にあばら骨、浮き出た血管など、どこまでもリアルです。

義満ゆかりの寺宝がたくさん

  • 鼉太鼓縁(だたいこふち)一対(重文)   

    鼉太鼓縁(だたいこふち)一対(重文)   

  • 経王堂 外観

    経王堂 外観

仏像以外の見どころもご紹介しましょう。霊宝殿に入ると、右手に大きな展示物があります。雅楽の演奏時に太鼓に取り付けられた装飾で、室町時代のもの。あまりの大きさに、いったいどんな場所で雅楽を演奏していたのか気になり、ご住職にお聞きしたところ、北野天満宮の南に足利義満が建立した北野経王堂という建物で使用されたと教えていただきました。
 
北野経王堂は今でいう巨大なイベントスペースで、なんと三十三間堂の1.5倍近くの大きさがあったといいます。室町時代後期は千本釈迦堂が管理を担当し、多くの寺宝が受け継がれました。六観音ももとは北野経王堂にあったそうです。寛文11年(1671)には建物が破却されてしまいますが、一部部材を用いて千本釈迦堂の境内に経王堂が再建されています。
  • 足利義満公乗用車輪

    足利義満公乗用車輪

  • 傅大士及二童子像(重文)

    傅大士及二童子像(重文)

鼉太鼓縁の右隣にさりげなく置かれているのは、足利義満が乗っていた御所車(花車)の車輪です。北野経王堂しかり、足利義満はスケールが大きいものを好んだのか、車輪の直径はなんと約2.2メートル! 
 
足利義満が千本釈迦堂にお参りする際に、途中で車輪の軸が壊れたという逸話があり、その場所は今でも「花車町」という町名になっているそうです。なんとも京都らしいエピソードですね。
 
他にも、「北野社一切経五千余巻」(重文)や「傅大士及二童子像」(重文)など、義満ゆかりの寺宝がたくさんあります。ここではすべてをご紹介できませんが、とにかく国宝と重要文化財の多さに圧倒されます。ぜひ、国宝に指定された記念イヤーに、お参りしてください♪
 
【拝観時間】9:00~17:00(本堂・霊宝殿16:30)
【拝観料】境内無料、本堂・霊宝殿600円
【電話】075-461-5973
【アクセス】市バス「上七軒」バス停から徒歩約3分 Google map
 
\仏像好きは必見!/
※掲載内容は2024年5月24日時点の情報です。最新情報は掲載先へご確認ください。

Written by. 「そう京」編集部

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