春の「龍安寺」、訪れる前に知っておきたい石庭と油土塀、桜のお話

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龍安寺 石庭(方丈庭園)

龍安寺 石庭(方丈庭園)

京都のお寺探訪 20 

15個の石が白砂に浮かぶ枯山水の石庭(方丈庭園)で知られる、世界文化遺産の龍安寺。禅の奥深さを感じられるお庭があまりにも有名ですが、広い境内は、春の桜や初夏の花、秋の紅葉に彩られ、四季折々に美しいお寺です。

昨年(2021年)12月より「石庭油土塀(あぶらどべい)屋根工事」のため拝観を停止されていたのですが、このたび工事が終了。2022年3月19日(土)より拝観が再開されることになりました。工事についてお寺の方に伺うと、石庭と油土塀、桜について、興味深いお話を教えてくださいました。

\龍安寺の桜の開花状況はこちらをチェック!/
⇒「京都 桜の名所開花情報2022」
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石庭の工事完了。ここが変わりました!

まずは、2枚の写真をご覧ください。

こちらは、2021年4月1日に撮影した石庭です。

こちらは、2022年3月8日に撮影した石庭。どこが違うか、わかるでしょうか?

・・・そうです。石庭を囲う塀の屋根が、真新しくなっています! 龍安寺が昨年12月6日より拝観を停止し工事していたのが、この油土塀の屋根の杮(こけら)葺きでした。
  • 工事中には、油土塀全体が素屋根で覆われていました(2022年3月4日撮影)

    工事中には、油土塀全体が素屋根で覆われていました(2022年3月4日撮影)

  • 工事中には、油土塀全体が素屋根で覆われていました(2022年3月4日撮影)

    工事中には、油土塀全体が素屋根で覆われていました(2022年3月4日撮影)

「杮の葺替は、前回は2006年に行っていて、今回16年ぶりの葺替工事となりました」
と、龍安寺事務長・学芸員の岩田晃治さん。

岩田さん 「杮葺きの耐用年数は通常20~25年となり、本来ならば工事はもう少し先の予定でした。しかし、コロナ禍ということもあり、拝観を休止して、通常より早めに工事を行うことになりました」

世界的にも人気のある龍安寺だけに、“拝観を休止する”ことはとても難しい決断であったと、岩田さんはおっしゃいます。
  • 真新しい杮。

    真新しい杮。

  • 檜皮と違い、杮に苔は大敵だそう。

    檜皮と違い、杮に苔は大敵だそう。

岩田さん 「前回(2006年)の杮葺替工事の時には、通常拝観をしながら工事を行いましたが、“足場が見えてしまって風情がない”というご意見もいただき、“次の工事の際には拝観を休止した方がいいのでは”という意見が挙がるようになりました。 ・・・しかし、拝観を止めることもお参りの方にご不便をおかけすると悩んでいたところ、コロナ禍により修学旅行生や外国人拝観者がほぼ来られない期間となり、感染対策を講じながら工事を行うことにしました」

必要最小限の人数での工事は大変なことだったそうですが、様々な理由が重なって工事を実施することとなったそうです。参拝者の方が多いお寺ならではのご配慮を感じますね。そして、屋根が新しくなった以外にも石庭に変化があったそうで・・・

2021年の春と、2022年の春は、少し違います。

龍安寺といえば、「そうだ 京都、行こう。」では、2012年に春のキャンペーンを行いました。

【TVCM】2012年 春「龍安寺」そうだ 京都、行こう。(YouTube)

【TVCM】2012年 春「龍安寺」そうだ 京都、行こう。(YouTube)

実は、CMやポスターに登場していたこの大きなしだれ桜は、樹勢が弱まり枯れかけてしまったため、5年ほど前に境内のほかの場所に植え替えられました。その後、別の桜を移植したのですが、桜が根付くのはなかなか難しかったそうです。

岩田さん 「5年前に以前のしだれ桜を移植した後、別の桜を茨城県から運び、植え替えました。しかし、土壌が違うためなのかうまく根付かず・・・ そこで、同じ京都市内で桜を探し、北区の玄琢(げんたく)から移植したのが、現在の八重しだれ桜になります」

2021年4月1日撮影

2021年4月1日撮影

こちらが、玄琢から移植した桜の、昨年春の様子。きれいに咲いていますね!

岩田さん 「この時は、桜は1本でなく、手前に2本別の桜も植えているんですよ。わかりますか?」

確かに、よく見ると3本の桜があることがわかります。

岩田さん 「手前の2本は、八重しだれ桜が大きくなるまで、応援のために植えていた桜です。5年前、以前のしだれ桜を移植して別の桜を植え替えた時に、桜の位置を2.5メートルほど奥(南側)に移し替えていて、“桜が小さくなった”という印象を受けられる方も多いのではないかと、手前に2本の桜を植えました。 植えた時には背丈が低かった八重しだれ桜ですが、今では十分大きく育ったので、今回の工事を機に、手前の桜は別の場所に植え替えることになりました」

どうして桜の位置を変えたのかというと、それには杮葺屋根の性質が大きく関わっていました。

2022年3月8日撮影

2022年3月8日撮影

岩田さん 「杮葺きはとても湿気や苔に弱い性質です。檜皮葺きは苔が付くほどに強くなりますが、杮葺きはどんどん傷んでしまいます。以前は桜の枝が油土塀の屋根にかかり、その風情が良かったんですが、どうしてもその部分だけ杮が早く傷んでしまい・・・ 悩んだ末に、桜を油土塀から少し離すことにしました。手前の桜も大きくなったため、今回屋根を葺き替えるタイミングで移植することにしました」

龍安寺の石庭というと、白砂と15個の石の配置に目が行きがちですが、その周囲を囲む油土塀や植生にも、美しい石庭の景観を守る秘密が隠されているんですね。2022年の春に訪れる方は、晴れて一人デビューとなる八重しだれ桜に、ぜひご注目ください♪

\さらに深掘り、油土塀の秘密/

普段は石庭に注目が集まり、あまり目立たない油土塀に、さらに注目してみましょう。まず、なぜ「油土塀」というのでしょうか?

岩田さん 「土に菜種油やもち米のとぎ汁を入れて練って造った築地塀なので、“油土塀”と呼ばれています。龍安寺は1450年に、室町幕府管領・細川勝元によって創建されますが、そのすぐ後に応仁の乱が勃発し、龍安寺も焼失してしまいます。1488年になって勝元の子・政元が再建し、1499年に方丈が完成しますが、この頃に方丈庭園(石庭)と油土塀も造られたのではないか、といわれています」

龍安寺創建までの歴史

桜美しい涅槃堂周辺(2020年4月6日撮影)

桜美しい涅槃堂周辺(2020年4月6日撮影)

ここで、龍安寺の歴史を簡単におさらいしてみましょう。

そもそも、細川勝元が、なぜこの地に龍安寺を創ったかというと・・・
龍安寺や金閣寺などがある衣笠山一帯は、平安時代の後朱雀天皇・後冷泉天皇・後三条天皇・一条天皇・堀河天皇の陵墓がある神聖な土地。かつては“四円寺”と呼ばれる4つの天皇の御願寺が堂宇を連ねていました。

その後、藤原実能(さねよし)が別荘地とし、「徳大寺」を建立します。庭づくりの名人だったという実能は池泉回遊式庭園を作庭し、池に舟を浮かべては奏楽を楽しんだといいます。その名残といわれるのが、現在の「鏡容池(きょうようち)」です。

鏡容池。かつては「鴛鴦(おしどり)池」とも呼ばれたそう。(2020年4月2日撮影)

鏡容池。かつては「鴛鴦(おしどり)池」とも呼ばれたそう。(2020年4月2日撮影)

南北朝・室町時代となり、花園法皇が花園御所を改めて妙心寺を創建すると、室町幕府の管領を務めていた細川勝元が徳大寺の地を気に入り、譲り受けて、1450年に妙心寺の義天玄承を開山に迎え、龍安寺を創建しました。

現在の方丈

現在の方丈

そして、前述のように、応仁の乱が勃発してその時の堂宇は焼失。勝元の子・政元が再建し、そのときに方丈とともに、石庭と油土塀も造られたとされます。

※方丈はその後火事に遭い、現在の方丈は江戸時代初期の建立(1606年、重文)。塔頭・西源院の方丈を1799年に移築したものです。

油土塀のお話(つづき)

岩田さん 「石庭は作庭者も特定されていませんし、油土塀がいつできたという確かな記録もありません。相阿弥が描いた『龍安寺古図』を江戸時代に模写した史料では、石庭と油土塀らしきものがありますので、お寺では1499年に石庭と油土塀の原型ができたであろうと考えています」
  • ①写真左側に向かって石庭に傾斜がついています。

    ①写真左側に向かって石庭に傾斜がついています。

  • ②写真奥の油土塀が左側に向かって低くなっています。

    ②写真奥の油土塀が左側に向かって低くなっています。

龍安寺の石庭では、方丈から見て左奥に向かって傾斜がついていて、排水の利便性を高めるためといわれています(写真①)。また、石庭右側の油土塀は奥に向かって低くなっていて(写真②)、遠近感を増すための工夫と言われ、これらも作庭当時からの工夫ではないかとされているそうです。岩田さん曰く、
「今は杮が新しいので、油土塀の傾斜がわかりやすいと思いますよ」
とのこと。確かに、わかりやすいような気がします。

どうして油土塀の背は低い? その意外な理由とは?

石庭裏側からみた工事の様子(2022年3月4日撮影)

石庭裏側からみた工事の様子(2022年3月4日撮影)

岩田さん 「石庭の油土塀は、方丈から見るととても低く見えるでしょう? 裏側から見ると2メートル70センチあるのですが、方丈側からはそれを感じさせない。それは、方丈に座った時、勝元や政元が男山を見るために、土塀を低く造ったといわれています」

清和源氏の流れを汲む細川氏は、男山に祀られる石清水八幡宮を深く崇敬していました。なんと、かつては龍安寺の油土塀越しに男山の姿が見えたそうなのです!

岩田さん 「今となっては意外ですが、実際に見えたという研究結果もあるんですよ」

石清水八幡宮(2021年3月29日撮影)

石清水八幡宮(2021年3月29日撮影)

今では桜や紅葉に彩られる油土塀ですが、その向こうには八幡神様がいらっしゃいます。石庭を見つめ禅の奥深さを感じるとともに、勝元たちが拝した八幡神に手を合わせてみてはいかがでしょうか。

油土塀の秘密、実はまだあります!

たくさんのお話を伺い、さて帰ろうと庫裏を出ようとしたとき、

岩田さん 「こちら、見てみてください」

と、靴箱の上の額縁を指さされました。

岩田さん 「昔の龍安寺です。油土塀の屋根が、瓦葺きなんですよ」

ええ!? と思い、写真を見てみると、確かに瓦屋根です。
岩田さん 「前々回、2006年の前の工事が行われた1977年まで、油土塀の屋根は瓦葺きでした。その工事の際に史料を確かめ、現状最も古い史料(『洛外図』1600年代)に沿って、杮葺きに変更しました」

瓦は重量があり油土塀が痛むなど様々な理由から、杮葺きに変更されたそうです。今も瓦葺き当時のことを懐かしむ方が多いそうで、龍安寺の名を一躍世界的に有名にしたエリザベス女王の来訪も1975年のこと。女王がご覧になったのも、瓦葺きの屋根だったのですね。

*****
石庭と油土塀、桜をキーワードに、龍安寺の見どころをご紹介しました。龍安寺の意外な変遷の歴史が、垣間見えたのではないでしょうか。真新しい杮葺きの屋根ですが、「3ヵ月ほどはきれいなままに楽しめるのでは?」とのこと。2022年の春だけにしか見られない光景が待っていますので、ぜひこの春は龍安寺を訪ねてみてくださいね♪
■龍安寺
【拝観時間】8:00~17:00(12~2月は8:30~16:30)
【拝観料】500円
【電話】075-463-2216
【アクセス】市バス「竜安寺前」バス停からすぐ、市バス「立命館大学前」バス停から徒歩約10分 Google map
【公式ホームページ】http://www.ryoanji.jp
※掲載内容は2022年3月18日時点の情報です。最新情報は掲載先へご確認ください。

Written by. みさご

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